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ゆかりの地

大阪にある五代友厚ゆかりの地をご紹介します。
各ゆかりの地の写真をクリックすると、その場所の地図を表示させることができます。

  • 大阪商工会議所

    五代友厚像
    五代は、1878(明治11)年、中野梧一・廣瀬宰平・藤田伝三郎らと協議し、大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)を設立、初代会頭となる。五代は維新後に沈滞した大阪にあって、在来産業の近代化をはかるとともに、商人達に新たな進むべき道を指し示し、後の大阪発展の礎を築いた。

    〒540-0029
    大阪市中央区本町橋2-8
    http://www.osaka.cci.or.jp/

  • 大阪商工会議所 大阪企業家ミュージアム

    大阪企業家ミュージアム 五代友厚展示
    大阪商工会議所創立120周年事業の一つとして、2001(平成13)年に設置。五代友厚をはじめ、大阪の近代化を進め、高度経済成長を支えた、105人の企業家たちのチャレンジやイノベーションの数々を、その時代背景とともに紹介している施設。

    〒541-0053
    大阪市中央区本町1-4-5 大阪産業創造館B1F
    http://www.kigyoka.jp/

  • 川口居留地跡 碑

    川口居留地跡 碑
    大阪開港にあたり、外国貿易に精通している五代は、外交事務、大阪港の整備、外国人居留地の建設、松島遊郭の設置を図るとともに、外国人の不正不法行為を厳しく取り締まっていった。1868(明治元)年に行われた居留地の落札平均価格は、神戸を大きく上回り、外国人の大阪開港への期待の大きさがわかる。

    〒550-0021
    大阪市西区川口1-5

  • 川口運上所跡 碑

    川口運上所跡 碑
    1868(慶応4)年、参与職外国事務掛となり、大阪在勤となった五代は、外国貿易関係事務をはじめとする大阪川口運上所(税関)における一切の事務を管轄した。五代が横浜に転勤となった際には、外国事務局の面々より復職歎願がなされた。

    〒550-0021
    大阪市西区川口2-9 安治川堤防沿

  • 大阪通商会社 為替会社跡

    大阪通商会社 為替会社跡
    政府は開港後の新しい国内商業と外国貿易の展開に対応するため、専門商社および為替会社を主要都市に設立することとした。これに加わることに消極的であった大阪の富豪たちの説得に五代が奔走。1869(明治2)年、結集させることに成功した。

    〒530-0005
    大阪市北区中之島1
    大阪市中央公会堂南西隅

  • 大阪活版所跡

    大阪活版所跡
    1870(明治3)年、元長崎通詞本木昌造とはかって大阪活版所を開設。大阪における同業の嚆矢であった。五代自らが刊行した辞書に「薩摩辞書」と呼ばれるものがある。

    〒540-0021
    大阪市中央区大手通2

  • 五代友厚 住居跡

    一般財団法人大阪科学技術センター
    1871(明治4)年、西区靭北通1丁目28番地に住居を移す。大阪会議にあって、大久保利通の宿所となったのもここである。

    〒550-0004
    大阪市西区靭本町1-8-4

  • 大阪会議開催の地 碑

    花外楼
    政局の安定のため、木戸孝允と板垣退助を政府に呼び戻そうと大久保利通が会合を企画。1875(明治8)年1月以降、数度にわたり会合が持たれ、2月の加賀伊(「花外楼」の前身)での会合(「大阪会議」)で決着を見る。この間、五代は、大久保のブレーンとして貴重な裏方を務めた。

    〒541-0041
    大阪市中央区北浜1-1-14
    日本料理花外楼北浜本店前

  • 五代友厚精藍所西朝陽館跡

    五代友厚精藍所西朝陽館跡
    明治の初年ごろ、日本の藍は安価なインド藍に圧迫されていた。五代はこれを慨嘆し、西洋化学書を訳して、インド藍の製法を知り、これを国産藍に応用することで国内市場を守り、さらに海外進出も視野に入れ、1876(明治9)年、製藍会社「朝陽館」を設立した。

    〒530-0003
    大阪市北区堂島3
    NTT堂島テレパーク南側

  • 大阪証券取引所

    五代友厚像、OSEギャラリー
    1878(明治11)年6月4日、五代は、鴻池善右衛門、三井元之助、住友吉左衛門、山口吉郎兵衛、井口新三郎とともに発起人となり、大阪株式取引所(現在の大阪取引所)創立願書を大蔵省に提出。五代、鴻池、住友、平瀬亀之助、広瀬宰平、笠野熊吉が筆頭株主となり、同年8月15日に開業。

    〒541-0041
    大阪市中央区北浜1-8-16

  • 大阪商法会議所跡

    大阪商法会議所跡
    1878(明治11)年8月に設立した大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)は、はじめ仮事務所を朝陽館内に設け、79年1月に、東区高麗橋通4丁目22番地に新築された建物に移った。新築会議所が建つまで、会議は西本願寺津村別院をはじめ転々として行われた。

    〒541-0043
    大阪市中央区高麗橋3-6
    三菱UFJ銀行大阪営業部北東角

  • 大阪商業講習所跡

    大阪商業講習所跡
    1880(明治13)年、五代は私立大阪商業講習所創設に尽力。簿記・算術・経済などが講義され、開所当初から大阪の子弟を中心に生徒数は60名を越えた。現在の大阪市立大学、大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校につながる。

    〒550-0012
    大阪市西区立売堀2
    阿波座南公園内 明治会館西側

  • 五代友厚 住居跡

    日本銀行大阪支店
    1885(明治18)年、弘成館新店舗および自邸を、北区中之島1丁目26番地に新築。(約200メートル四方の敷地に総檜造りの母屋、洋館一棟、土蔵三棟)五代の葬儀は明治18年10月2日に邸内で行われた。

    〒530-0005
    大阪市北区中之島2-1-45

  • 大阪市営南霊園 阿倍野墓地

    五代友厚お墓
    1885(明治18)年、9月25日、五代は東京築地の別邸で死去。葬儀は10月2日、大阪で行われ、会葬者は4,300余人、葬列は13町(約1.4K)に及んだという。

    〒545-0052
    大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19

※ゆかりの地概要の参考文献等:『商都大阪をつくった男 五代友厚』宮本又郎著・NHK出版、『五代友厚伝』宮本又次著・有斐閣、『五代友厚伝記資料 第四巻』((財)日本経営史研究所編・東洋経済新報社、「関西企業家デジタルアーカイブ」大阪商工会議所大阪企業家ミュージアム、『大阪商工会議所百年史』大阪商工会議所、国立公文書館デジタルアーカイブ